成功の相対性 未選択 2015年10月05日 昨日に記事で『時間はすべての人に与えられていくからこそ、使い方次第でどうとでもなる』というようなことを申しました。なぜ使い方でよいほうにも、悪いほうにもなるのでしょうか。皆さんは感覚的にはわかっているかと思いますが、これは、「成功」は相対的なものであるからです。たとえば、発展途上国では毎日の食事もままならない人々と、 同じ国で毎日暮らしていける人々がいます。 前者の人が後者になることは、その国レベルでは「成功」といえるでしょう。 一方、先進諸国では毎日暮らしていける人々と、 欲しいものが何でも買える人々がいます。 この場合も前者の人が後者になることは「成功」といえるでしょう。 では、先進諸国で毎日暮らしていけない人が、 毎日暮らしていけるようになった場合、「成功」でしょうか?個人規模で見たら成功ともいえなくもありませんが、国レベルで見たらそれはお世辞にも「成功」ではありません。時間というのは発展途上国にも、先進諸国にも平等に来ます。だからこそ、時間の使い方で発展途上国の人が先進国の大富豪のようになれますし、逆に、先進国でも毎日生活に困るような人々がいるのです。今回の記事で不快になられた方がいたら申し訳ありません。 PR